特集 「さようなら、そしてありがとう、チャーリー」

さようなら、そしてありがとう、チャーリー

 

私の親しい友人でありメンターであるチャールズ・シェーファー博士が、2020年9月19日(アメリカ時間)の朝に突然亡くなりました。

チャーリー(といつも呼んでいるのでここでもそう呼ばせていただきます)が数時間前にこの世を去ったことを知らせるメールを娘さんから受け取ったとき、頭が真っ白になり、すぐには理解できませんでした。彼からの3日前のメールでは、「僕は元気だよ。ワクチンが待ち遠しい。早く会いたいな」と書いてありました。さまざまなプロジェクトに取り組んでいることや、新しい本を始めるために他の多くの人に連絡を取っていることも聞いていました。彼は前夜にも、いつものように、フェイスブックのページにプレイセラピーの雑学クイズを投稿していました。彼自身は間違いなくこの世からすぐにいなくなる予定は無かったようです。

 

チャーリーの存在と彼との関係こそ、我々の日本プレイセラピー協会(以下JAPT)が立ち上げられ、現在まで至っている理由のひとつです。

JAPTをはじめとし、様々な国のプレイセラピストらが彼の声掛けにより結成された、世界中のプレイセラピー協会を、彼は非常に誇りに思っていました。チャーリーはワークショップやプレゼンテーションを行うために旅行することを(米国内でも)拒否することで知られていましたが、最近、望むなら、JAPTのために東京に喜んで行くよと言って下さっていました。

 

私が最初にチャーリーに出会ったのは2002年に、彼が主催する英国での招待制の第2回年次勉強グループに参加したときです。

2001年夏に「プレイセラピーの父」から招待状を受け取った時の驚きと興奮は、多くの素晴らしい事の始まりであったため、今でも鮮明に覚えています。プレイセラピーに関連することであれば何についてでもよいので、発表しなければならないと知らされ、それをエキサイティングな挑戦として受け止めました。他の参加者(Anne Cattanach、Louise Guerney、Rise Van Fleet、Heidi Kaduson、等、著名なプレイセラピスト約25人)に紹介されたときには、楽しみにしていた発表が不安に代わりました。ありがたいことに、その恐怖の気持ちは杞憂におわり、「プレイセラピーの偉人」のグループに、非常に歓迎されたと感じました。それは、リーダーであるチャーリーが、思考を刺激する数々の素晴らしいプレゼンテーションの合間に、皆が一緒に遊び、1週間常に楽しんでいられるように計画・実行して下さったお陰です。そうなのです、文字通り遊びました–クロケット、スプーン、丘を転がる、踊る、歌う、「幽霊を探す」、各国の遊びの発表・体験会、など。友達や家族からは、初めてのキャンプ体験から帰ってきてキャッキャッと興奮している小さな子どものよう、同僚からは、勉強会以来、とても元気になっているようだと言われました。

その初回から19年経ちますが、その間の多くの参加者も、私が経験したように、チャーリーご本人と彼の特別な勉強グループについて、自分を活性化し、人生に大きな変化をもたらした、と言っています。光栄なことに、毎年この勉強グループに招待され、おかげで世界中のプレイセラピストと友達になり、専門的な交流を続けることができています。私がJAPTの発展に貢献できたことはすべて、直接的または間接的に、チャーリーの勉強グループに長年参加できたお陰です。

 

チャーリーは、見知らぬ(もちろん厳選された)人を集め、職業的にも個人的にも生涯の友人になるような環境を作り出すことの天才でした。

勉強グループの参加者(私自身を含め)は、各国で一緒にワークショップをし、共著本を出版、結婚式に参加、「外国の家族」になり、旅行に一緒に行く、と様々な深い交流をしています。

イギリスのプレイセラピー協会の創立メンバー、そして最初のJAPT夏季ワークショップシリーズの主な講師の一人のAnne Cattanach博士も 、チャーリーの勉強グループで友人になったプレイセラピストの一人でした。

多くの参加者の様々なアイディアから、たくさんのプレイセラピーの書籍やプロジェクトが生み出され、私自身も、チャーリーと2冊の本を共同編集し、彼のほかの出版本や19年間勉強グループに参加されたさまざまなプレイセラピストらによって編集された本にいくつかの章を提供させて戴けたことを誇りに思っています。彼が特別なプレイセラピー勉強グループ(もちろん米国プレイセラピー協会を含む)を創出し、継続するという独創性を通じて、プレイセラピーは間違いなく世界中ではるかによく知られ、一目置かれる(高く評価される)ようになりました。

 

チャーリーは、JAPTの設立に関して、最初に励まし、サポートしてくれた人でした。

当初から、彼は常にJAPTの発展、私の文献やワークショップ、日本のプレイセラピーやプレイセラピスト、等に関して、興味を示してくださいました。彼は常に今以上にさらに素晴らしい人物になるために、もっと多くを達成するよう、絶えず努力を惜しまない人でした。自分自身と同じように、周囲の人々にも刺激を与え、やる気を起こさせ、常に質問をし、回答に対してさらに考えるように促しました。

私たちはプレイセラピーについて多くの真剣な議論をしました。眉をひそめ、各自の見解を討論し、その結果、自身の理解を拡大し、深め、それを実践することにつながっていきました。その間、冗談も言い、心の底から笑って、お互いの存在を楽しみました。

 

JAPTが2011年から提供している被災者支援は、私が2005年にスマトラ島沖地震の津波孤児をサポートするために行った時のものに基づいています。

チャーリーの勉強グループに以前参加された方で、このプロジェクトを率いるプレイセラピストと友達になった結果、当時日本在住でありながらも、私は米国プレイセラピー協会からスリランカに派遣されたチームの一員に選ばれました。勉強会での出会いがあったため、東日本大震災時には世界各国のプレイセラピストらよりおもちゃを送っていただき、金銭的支援と被災者への心理的な支援の指導援助もしていただきました。

JAPTの被災者支援ワークショップの基本である治癒的な遊びの概念は、チャーリーが2003年頃に早くも紹介し、プレイセラピーとの違いを教えて下さったものです。JAPTが遊びに基づく被災者支援は非常に好評で効果をもたらしているため、チャーリーや他のプレイセラピストらに私が書いたものを様々な本や専門誌に起用していただき、多くのプレイセラピストのガイドラインとして貢献することが可能となりました。

 

チャーリーは私の職業人生の中で最も肯定的で、最も強い影響のある人物でした。

楽しい、思いやりのある、知識が豊富、愛されている、面白い、真剣、期待を寄せる、野心的、触発する、奨励してくれる、情熱的、熱心、熟練など、は彼をよく知っている人であれば、彼を象徴する単語であるとうなずいてくれるでしょう。お互いの安否確認のためにここ数年間毎月メールを交換していました。彼とのこれらのやり取り、英国での勉強グループや米国プレイセラピー協会の学会で彼と時間を過ごすことがもうないのは、考えることさえしたくなくなる寂しさで心がいっぱいになります。世界中のとても多くのプレイセラピストがそうであるように、私は彼がいなくなってしまったことが悲しくてしょうがありません。

 

チャーリー、あなたの愛に感謝します。

安らかにお眠りください。

 

大野木嗣子、Psy.D.

JAPT共同創設者、現理事

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